大学を少しお休みして休学していた時期、日本で育つネパールルーツの子ども世代(20名)と保護者世代(20名)を対象とした質問票調査、および親子ペアへの半構造化インタビュー(子ども6名・保護者7名)を行う機会がありました。
「日本語ができるから、困っていない」の裏側 ——調査データから見る外国ルーツの子どもたちの実態
日本語能力が高くても、制度仲介の負担や親子の認識のズレがあることを調査データから考察します。
外国ルーツの子どもをめぐる支援というと、どうしても文部科学省の調査(令和7年度時点で日本語指導が必要な児童生徒が8万人に迫るなど)にもある通り、「日本語指導」や「教科学習支援」が中心として語られがちです。私自身、調査を始める前は、「日本語での日常会話に不自由がなく、学校生活に馴染んでいるように見えれば、支援の必要性は低いのではないか」という前提を持っていたように思います。
しかし、実際の調査データを読み解く中で、その前提を少し冷静に捉え直す必要性に直面しました。
「日本語ができること」と「困っていないこと」の乖離
調査に協力してくれた子どもたちの多くは、日常会話に大きな困難を感じておらず、学校生活への適応感も比較的高い数値を示していました。保護者側の認識としても、子どもたちが日本語や日本の学校文化に概ね馴染んでいると捉えているケースが多数を占めていました。
一方で、データやインタビューからは、日本語能力の高さだけでは見えにくい複数の負担が浮かび上がってきました。その一つが、家庭内における「制度仲介(ことばのヤングケアラー的側面)」の負担です。保護者が日本の学校制度や書類の仕組みに十分に対応できない場合、子ども自身がその窓口となり、内容を理解して保護者に説明する役割を担っているケースが確認されました。
「周囲の友人は親に書類を渡して終わりだが、自分は内容を理解して説明しなければならなかった」という語りに示されるように、表面的に「適応している」ように見える子どもたちの背後には、こうした見えにくいプレッシャーが存在している可能性があります。
親子間の認識のズレと、言えない悩み
また、親子間のコミュニケーションや認識のズレも重要な論点です。進路などの具体的な事項については比較的話し合われている一方で、学校生活での細かい違和感や人間関係の悩みについては、「親に心配をかけたくない」「自分の学校での姿を知られたくない」という理由から、あえて共有されない傾向が見られました。
保護者側は「子どもは学校に楽しく通えている」と安心している一方で、子どもの内面では、家庭の価値観と学校文化のギャップに揺れたり、孤立感を抱えたりしている場合があります。こうした「親子の認識のズレ」は、単なるコミュニケーション不足というよりも、異なる文化適応の速度や立場から生じる構造的な課題として捉える必要があるかもしれません。
今回の調査を通じて示されたのは、「日本語ができること」イコール「困難が存在しないこと」ではないという事実です。支援のあり方を考える際には、日本語指導の枠組みを前提としつつも、制度仲介の負担や親子間の認識のズレ、心理的なサポートといった、より多角的な視点を取り入れることが求められていると考えられます。
関連コース:B1
小説や物語文を通して、感情の分析力・表現力を高めます。違いを認識し、強みと捉える文章も積極的に利用する予定です。
